teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


??まだらボグェ

 投稿者:ネ○ふんじゃった  投稿日:2010年 7月16日(金)14時08分35秒
   著者は韓国と日本はある歴史の「同族」でありその根元は不透明だと結論を出している。
古代国家扶余(満州と思われる)は高句麗の広開土大王による大々的な征伐などによる侵略で494年に崩壊を迎えた。
しかし、満州で扶余が消えるやいなや韓半島に扶余が登場する。すぐに南部で(百済)だ。

 実際に扶余と高句麗の建国神話はほとんど同じだ。扶余の始祖が同名のように高句麗も同名を始祖(詩)にむかえた。
興味深い事実は韓半島にたてた百済も同名が始祖(詩)で、百済王の性が扶余氏というものだ。
「百済は扶余族の一派」という記録も色々な司書に登場する。結論的に扶余と高句麗、百済は同じ国だ。
著者が今まで韓国史学(私学)界が百済にぶらさがって扶余を見ることができなかったと指摘する理由だ。

 百済(南部で)は扶余の回復を夢見たが高句麗の続いた南下でこれらがまた選択した土地が列島(日本)だ。
5世紀末百済の蓋鹵王が高句麗長寿王によって死ぬとすぐに義慈王の息子が列島に渡り、
扶余列島をたてた後に日本古代の王朝である大和王朝を開いたのだ。
結局のところ日本は扶余の国であるといえる。

 著者は徹底した文献的事実と考証を土台に本を書いたといった。 628ページ、2万2千ウォン.

イ・ジョンギュ記者

ソース 毎日新聞(韓国版) 2010年07月15日
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=28592&yy=2010
 
 

今頃、何ゆーてますねんw まあ、正直な支那人が居たって事で・・・

 投稿者:ぴ~ぴぃ~ぴぃ~~  投稿日:2010年 2月10日(水)20時15分58秒
  今の中国に「純粋な漢族」など存在しない!DNA検査で明らかに―中国紙
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100208-00000014-rcdc-cn
2010年2月8日15時7分配信 Record China

2010年2月6日、中国紙・重慶晩報は、DNA検査の結果、中国には「純粋な漢族」は存在しないことが判明したと報じた。

蘭州大学生命科学学院の謝小東(シエ・シャオドン)副教授が行った中国西北地区に住む少数民族のDNA研究で明らかになった。漢族とは古くから河南省を中心とした「中原(ちゅうげん)」に住む人とされており、これまでこの地域に住む人々は比較的純粋な漢族だと考えられてきたが、謝副教授の研究結果はこの説を覆すものとなった。

謝副教授によると、現在の陝西省西安市に都を置いた西周(紀元前1100年頃~紀元前771年)は漢族の王朝に間違いないが、春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)になると、同じ陝西省の秦王朝は「戎(じゅう)」と呼ばれ、野蛮な異民族として扱われた。そのため、漢族とは特定の定義を持たず、周辺地域と区別するために作られた概念に過ぎないと謝副教授は説明した。

中原に住んでいた漢族は兵役や戦乱により、どんどん南下していった。時代の移り変わりとともに中国各地へと散らばり、やがて周辺民族や周辺国の人々と融合。純粋な漢族は、こうして徐々に消滅していった。現在、古代の漢族に最も近い文化を継承しているのは、少数民族の「客家(はっか)」だという。(翻訳・編集/NN)
 

続々・場外乱闘w

 投稿者:ネ○ふんじゃった  投稿日:2009年12月23日(水)12時24分21秒
  ttp://image.munhwa.com/gen_news/200912/20091222010321300740040_b.jpg
ttp://image.munhwa.com/gen_news/200912/200912220103213007400401_b.jpg

▲中国遼寧省喀左県北洞2号遺跡で発見された「箕侯」という名前が彫られた「箕侯方鼎・左側写
真)」とそこに彫られた文章の拓本。

「最近‘東北工程’に代表される中国学界の韓国古代史歪曲が高句麗史を中国史に編入させる
段階を越えて私たち民族の根元の古朝鮮さえも中国史として見ようとする試みが進行している。
中国学界では檀君朝鮮を否定し箕子朝鮮を浮上させて箕子朝鮮から渤海まで満州と韓半島の国
家がすべて中国史の範疇に属するもので、韓国史に含まれるのではないと主張している。」

古朝鮮史研究会長のソ・ヨンス檀国(タングク)大教授は最近出版された「古朝鮮史研究100年-
古朝鮮史研究の現況と争点」(学縁文化社)にのせられた文で「箕子朝鮮の実存の有無がまた国
際的に重要な争点に浮び上がっている。古朝鮮史研究の範疇を離れて中国古代史を始めとする
北方民族の青銅器文化の検討など私たちの学界でより総合的な研究が必要だ」と明らかにした。

ソ教授が私たちの学界の古朝鮮史研究の現状を鳥瞰して争点を調べた「古朝鮮史の争点と歴史
現場」によれば最近、韓中学界などでは中国で新しく発見される甲骨文と金文に現れる「箕侯」が
文献上の「箕子」として注目され箕子に対する研究が新しい局面に入っているという。パク・ジュン
ヒョン延世(ヨンセ)大トンウォン医学博物館学芸研究員も本に載った「韓国近現代の箕子朝鮮認
識の変遷」で「2002年中国で‘東北工程’が公式に始まって中国学者は檀君朝鮮を神話として扱
い、歴史的実体を否定する反面、箕子東来を歴史的事実として再構成し、箕子朝鮮を韓国史の
始まりと見る」と述べた。これと共に衛満の出自を中国系と見なして「箕子朝鮮-衛満朝鮮-漢四郡」
と続く中国史の範疇に古朝鮮史を再構成している、とパク研究員は指摘した。

古朝鮮史研究会と東北アジア歴史財団が共著で出したこの本で、韓国古代史と考古学を専攻し
たソ教授ら8人の学者は中国の‘東北工程’を契機に、韓国北方古代史が国際的な歴史紛争に
突入している実情で、過去100年間に蓄積された国内外の古朝鮮史研究成果と争点を共同研究
を通じて体系的に分析整理して見せる。

たとえばパク・ギョンチョル江南(カンナム)大教授は「中国古朝鮮史認識の昨日と今日」で‘東北
工程’を基準としてそれ以前と以後で時期を分け、中国における古朝鮮史研究と認識の変化を体
系的に分析している。パク教授は「‘箕子東来’の時期は殷と周の国が交替する紀元前11世紀あ
たりだが、‘箕子東来論’と‘箕子封国論’はどちらも紀元前1世紀頃に編纂された‘史記’と‘尚書’
以前の文献には見つからない」として「‘箕子封国論’という英雄徙辺記は箕子・太白など古代に
辺境に行った英雄らの叙事を通じてこの地域を自らの血縁的・空間的領域に含ませようとした‘歴
史性格’の産物にすぎない」と強調した。

この他、同書には古朝鮮当時から現在に至るまで檀君がどう考えられてきたかを4段階に分けて
体系的に調べたソ・ヨンデ仁荷(インハ)大教授の「檀君認識の変遷」と伝統時代から現在まで古
朝鮮の中心位置に関する論争と研究の流れを整理したパク・ソンミ、ソウル市立大講師の「古朝
鮮の疆域と中心地」等の論文が載っている。北朝鮮と日本学界の古朝鮮研究成果と現況を紹介
したハ・ムンシク世宗(セジョン)大教授とユン・ヨング仁川(インチョン)都市開発公社文化財チー
ム長の論文も注目される。本末には共同研究者らが収集した20世紀国内外で展開した古朝鮮と
檀君関連研究成果を集大成した論著目録が載っていて研究者らの役に立つ。

チェ・ヨンチャン記者

ソース:文化日報(韓国語)
「中東北工程、高句麗越えて古朝鮮史まで脅威」学界‘古朝鮮史研究100年’で提起
ttp://www.munhwa.com/news/view.html?no=20091222010321300740040
 

ここが最終決戦場なのは分かるでしょう

 投稿者:ネ○ふんじゃった  投稿日:2008年12月30日(火)01時08分39秒
  温家宝首相直筆の石碑、済州島で除幕~「徐福の済州島訪問が韓中文化の出発点」

 中国の温家宝首相が自ら揮毫した「徐福公園」という四文字が刻まれた石碑の除幕式が26日、済州道西帰浦市の同公園で行われた。

 温首相の揮毫は2007年4月、韓中親善協会の李世基(イ・セギ)会長が韓中交流15周年行事の開幕式に出席するために訪韓した温首相に徐福公園整備の趣旨を説明し、受け取ったものだ。揮毫が刻まれた石碑は、姜大明・山東省長から贈られた名山・泰山の岩で製作され、高さ3.5メートル、重さ10トンにもなる。

 徐福公園は2000年余り前に秦の始皇帝の使節だった徐福が男女500人を引き連れ、不老長寿の薬草を探すために済州島を訪れたとされる足跡をたどるため、西帰浦市西帰洞の正房瀑布近くに整備された中国式庭園。

 中国の蔡武文化相は「徐福が不老長寿の薬草を求めて済州島を訪れたのは韓中文化の出発点だ。 温首相による『徐福公園』との揮毫は韓中文化交流の象徴で、協力関係をさらに発展させていこうという意味を持っている」とあいさつした。

 除幕式には蔡文化相のほか、中国の程永華駐韓大使、韓中親善協会の李世基会長、李相福(イ・サンボク)済州道行政副知事、金亨受(キム・ヒョンス)西帰浦市長、在青島韓国総領事館の金善興(キム・ソンフン)総領事、青島地区の韓国企業協会のイ・ヨンナム会長、西帰浦市徐福文化国際交流協会のキム・ヒョンタク理事長らが出席した。

済州=オ・ジェヨン記者

ソース:朝鮮日報<温家宝首相直筆の石碑、済州島で除幕>
ttp://www.chosunonline.com/article/20081227000023

徐福と西帰浦の縁は500余人の童男童女を連れて霊薬を捜すために海の果ての神山のひとつの瀛州山(瀛洲は済州の昔の地名で、瀛州山は漢拏山のこと)を捜したということから始まります。済州市チョチョンを訪れた徐福は瀛州山で不老草(霊芝、トウキ、シロミなど)をとって、西帰浦沖合正房瀑布壁面に「徐市過之((徐福がここを通った)」という文を刻みました。

ttp://blog.chosun.com/web_file/blog/208/44208/1/%BC%AD%BA%D2%B0%FA%C1%F62.JPG
▲ 西帰浦市正房瀑布壁面に刻まれた「徐市過之」

この文は済州島で流たく生活をした秋史・金正喜先生が考証して有名になりました。西帰浦という地名も徐福の仲間が「西の方に帰った」ことに由来するという説があります。このため、西帰浦市は2003年に徐福公園を造成しました。中国観光客を引き入れるための観光資源化方案でした。以後、韓中親善協会は2004年11月山東省竜口市徐福公園を見た後、山東省に徐福石像を要請しました。それで2005年5月18日徐福祭日に高さ3m規模の徐福の銅像の遺贈を受けて、西帰浦市徐福公園に移したと言います。

ttp://blog.chosun.com/web_file/blog/208/44208/1/%BC%AD%BA%B9%B5%BF%BB%F3.JPG
▲ 徐福の銅像

実は徐福の東渡伝説は済州島よりは日本にもっと多いと言われています。極端な話、日本の国家起源と結びついています。日本最初の天皇である神武天皇が徐福という説です。徐福が不老草を得られず、連れて行った軍人と幼い男の子と女の子達と日本に定着して日本を立てたというのです。和歌山にも徐福公園があり、こちらには徐福の墓もあると言います。とにかく、中国人は徐福を中国の優秀な文化を韓国と日本に伝えた人物であると同時に象徴と見ているといいます。

ソース:朝鮮日報(韓国語) 秦始皇の不老草使臣徐福、西帰浦で復活
ttp://blog.chosun.com/article.log.view.screen?blogId=44208&logId=3590336


☆★☆

つまり徐福が百済の原点だと・・・

バカチョンはかるーく嵌ったらしい

だって「おまいらは徐福の子孫なんだから文化起源とかごちゃごちゃ言うな!」って言う鋭いトラップが仕掛けてあるのに

分かるかなぁ~
分からないだろうな

 

新疆は中国じゃない?ミイラ“楼蘭の美女”が明かす歴史の「真実」―NYT紙

 投稿者:ネ○ふんじゃった  投稿日:2008年11月24日(月)01時50分52秒
  <楼蘭の美女>新疆は中国じゃない?ミイラが明かす歴史の「真実」―米紙

2008年11月、米紙・ニューヨークタイムズは新疆ウイグル自治区から発見されたミイラ、通称「楼蘭の美女」はかつて新疆が中国とは異なる別の地域であったことを示しているとのコラムを掲載した。22日、環球時報が伝えた。

新疆ウイグル自治区ではチベット同様、少数民族の独立運動が続いている。こうした動きに対し、中国政府は新疆ウイグル自治区は古来より中国の領土であると主張している。

しかし、ニューヨークタイムズのコラムは「楼蘭の美女」は中国政府の主張を覆すものだと指摘する。1980年に発掘されたこのミイラはおおよそ3800年前のものと推定されている。

中国が新疆領有の根拠としている張騫の西域遠征のはるか以前に人が住んでいたことを証明し、しかもその顔つき、体つきはいわゆる中国人のものとは大きく異なっており、中央アジア系の特徴が明らかだ。

一方、新疆ウイグル自治区社会科学院中央アジア研究所の潘志平(パン・ジーピン)所長は「中国は多民族国家であり、中国人であることと漢民族であることは必ずしも一致しない。『楼蘭の美女』は漢民族ではないが、中国人だ」と反論した。

歴史学者の張偉(ジャン・ウェイ)氏も、ニューヨークタイムズの理屈に従えば米国はネイティブアメリカンに返還するべきではないかと皮肉った。
 

こういうニュースさえひっそりと行わなければならない現状

 投稿者:ネタふんじゃった  投稿日:2008年 9月 4日(木)10時16分41秒
  「青谷上寺地遺跡出土盾に塗布された顔料について」記者発表を行いました
ttp://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=92303
鳥取県教育委員会埋蔵文化財センター 2008年09月03日

緑土の使用例としては、これまで国内では5~6世紀の装飾古墳壁画が、また朝鮮半島では平壌郊外の徳興里(とっこり)古墳壁画(408年)が最古とされていましたが、今回の結果により、青谷上寺地遺跡例が東アジア最古となることが分かりました。



鳥取県も腰が引けたリリースするなよなw

<徳興里古墳壁画>
   ↓
  これは高句麗遺跡ですね

そして紀元0年~200年と思われる埋蔵物が出て来た

韓・朝鮮及び中共が行ってきた近年の研究成果がすべて否定される可能性がある。

特に韓・朝鮮は大変だ
自国のルーツにおける高句麗と古朝鮮の関係をあきらかにする義務を負うだろう
つまり
まったく同類の高句麗と弥生の文化はどちらがどちらに伝えたのか?

高句麗→弥生
だとすれば、朝鮮半島・満州における歴史解釈が根底から崩れるし
弥生→高句麗
は受け入れられないだろうw

いずれにしろ
高句麗は「日本」である
日本は「高句麗」である
これはどちらでも同じ事になる

そろそろこの板も公開できますね(^0^)/
 

中国語のルーツ

 投稿者:ネタふんじゃった  投稿日:2008年 8月26日(火)09時58分26秒
  【明解要解】中国語を支える日本語
ttp://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080820/acd0808200759005-n1.htm
産経ニュース 2008.8.20 07:58

 ■外来語の1割が日本からの“輸入”

 「中華人民共和国 共産党一党独裁政権 高級幹部指導社会主義市場経済-という中国語は中華以外すべて日本製(語)なのをご存じですか」-。東京都台東区の中国語講師、劉美香さん(51)からこんなお便りをいただいた。産経新聞の「朝の詩」と「産経抄」を教材に毎日、音読と書き写しで日本語を磨くという劉さん、「明治時代の日本人が、欧米の学問を漢字で翻訳してくれたから、当時の中国は世界を理解できた。平仮名や片仮名に翻訳されていたら今ごろ、中国はどうなっていたでしょうね」。(特集部 押田雅治)

 中国語には約1万語の外来語があり、その大半が「仏陀(ぶっだ)」や「菩薩(ぼさつ)」「葡萄(ぶどう)」「琵琶」などインドやイランなど、西域から入った言葉といわれている。

 その残り1割、1000語余が清朝末期以降、日本から取り入れた言葉で、社会科学や自然科学などの学術用語の約7割が、英語やドイツ語などから翻訳した和製漢語といわれている(『現代漢語中的日語“外来語”問題』・王彬彬著)。

 日本語導入のきっかけは、欧米列強によって亡国の危機感に襲われていた清朝の志士たちの「日本に学べ」の精神だった。

 王氏は「われわれが使っている西洋の概念は基本的に日本人がわれわれに代わって翻訳してくれたものだ。中国と西洋の間には、永遠に日本が横たわっている」(同著)と指摘。日中戦争が始まる1937年までの40年間に、留学生だけでも延べ6万人が来日。明治維新を経て近代化を急ぐ日本で西欧を学び、そして和製漢語を取り入れたのである。

 本来、漢字だけで成立する中国語が外来語を取り入れる場合、「電視機」=テレビや「電氷箱」=冷蔵庫などの意訳型と、「可口可楽」=コカ・コーラなど音訳型の2つに大別される。


 当時の日本が欧州の言葉を日本語に翻訳する場合はほとんどが意訳だったため、和製漢語でも、漢字本来の意味を踏まえて翻訳した「哲学」や「宗教」などは中国人にも理解しやすかったようだ。

 ただ、中には「経済」のように、本来の意味と異なり、混乱した言葉もあった。元になった中国の古語「経世済民」は、「世の中を治め、人民の苦しみを救う」という政治を意味する言葉だったため、中国人が考えた「計学」や「資生学」などと共存した時期もあったという。

 劉さんは「不倫や電話詐欺など“悪い言葉”や癌(がん)などの医学用語も含め、日本語はいまなお、中国語に大きな影響を与えています。漢字は中国で生まれましたが、その漢字を生かした和製漢語のおかげで中国は世界を知り、学ぶことができたのです。この事実を多くの日本、そして中国の人に知ってもらいたい」と話している。
 

裏読みすれば・・やつらの本心が見えて来る

 投稿者:ネタふんじゃった  投稿日:2008年 8月 3日(日)09時02分40秒
  【韓国】高麗・モンゴル連合軍(元寇)は台風で壊滅せず、破竹の勢いで日本本土占領を開始した … 新刊小説『日本征討軍』出版 [08/01]
1 :犇@犇φ ★:2008/08/03(日) 08:26:49 ID:???
■新刊小説『日本征討軍』出版

歴史書に記録された歴史が歴史的な事実を完璧に描いていると考えてはならない。著者の政治思想や
哲学による歪曲が存在し、執筆者の奉ずる主君が誰なのかによって添削が加えられたり重要な史実が
抜け落ちたりする。

高麗・モンゴル連合軍の日本征伐について知りたいと思っている人は少なくない。高麗がモンゴルと共
に「麗蒙連合軍」を編成した理由は何なのか、連合軍はまともに戦うことも出来ずに台風で全滅したのか
等々、戦争の全貌がベールに隠されているからだ。歴史書から麗蒙連合軍の実体を知るのは難しい。

全国が独島問題で騒然とするこの時期に、麗蒙連合軍の日本征伐を素材にした歴史小説「日本征伐軍」
が出版されて注目を集めている。1994年に洪吉童伝を素材にした『律道国』を発表して文壇に登場して
以来、『奇皇后』『動く島』などを発刊したチェ・ソンウク氏が書いた本だ。独島問題をめぐる韓日間の緊張
に便乗して書かれた本ではなく、2年余りをかけた日本での現地調査と考証を通じて、失われた歴史を
掘り出して生き生きと描いた本だ。

著者は、子孫たちの怠惰のせいであれ日帝時代の植民地史観のせいであれ、歴史をきちんと明らかに
しないこともまた重大な歴史歪曲であるとして反省を求める。歴史追跡にだけ止まることなく歴史の具象
化にも心血を傾け、小説家としての責務を果たした。読者たちは先祖の進取的な気風と、あまりにも劇的
な歴史的諸事実を確認することができる。著者が10数回にわたり海外取材し、約740年前の痕跡を捜す
ために歩き回った苦労が、作品にそっくりそのまま溶け込んでいる。

著者は、麗蒙連合軍の日本征伐がいわゆる「神風」という表現によって深刻に歪曲されているという点に
衝撃を受ける。大多数の人々はいまだに、麗蒙連合軍がいわゆる「神風」と呼ばれる台風のために日本
本土にたどり着けぬまま全滅したと理解している。しかし麗蒙連合軍は対馬、壱岐、博多湾一帯、九州
南部をあっという間に攻略して、破竹の勢いで本土占領に乗り出した。著者は日本での現地踏査を通じ
て、九州全域はもちろん本州の内陸奥深くまで麗蒙連合軍の跡があちこちに残っていることを確認した。

麗蒙連合軍の遠征に関するもう一つの歪曲は、元国の圧力に負けた受動的参戦だったという指摘だ。
著者は、日本征伐が元国の高麗服属計画を鎮めるための秘策であり、むしろ高麗が元のクビライを説得
して推進した戦争だった、と強調する。動員された兵士の数ではモンゴルの方が多かったが、日本征伐
はあくまでも高麗軍が主導した。

▽ソース:スポーツソウル/Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2008/08/01 11:41)
http://www.sportsseoul.com/news2/life/culture/2008/0801/20080801101050900000000_5819195479.html
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=13&articleid=20080801114100254d8&newssetid=85
 

(無題)

 投稿者:太郎  投稿日:2008年 6月 8日(日)01時08分20秒
  http://www.komajinja.or.jp/

高麗神社。

やべーっすよw
「交流」なんかしてさ、
なんか、在チョソの手のひらにのせられてるかんじwww
 

もうめちゃくちゃ。いっかい、この高麗神社の宮司に講習してやりにいきます??

 投稿者:太郎  投稿日:2008年 6月 8日(日)00時46分41秒
  「ヨン様感じたい」高麗神社へ 埼玉・日高に女性続々
2008年06月07日22時26分

 かつて朝鮮半島で栄えた高句麗と縁が深い、埼玉県日高市の高麗(こま)神社が人気だ。俳優ペ・ヨンジュンさんが高句麗の王を演じる韓国ドラマ「太王四神記(たいおうしじんき)」のヒットで高句麗への関心が高まり、ゆかりの地に触れようと観光客の姿が絶えない。

 高麗神社によると、ドラマのファンとみられる参拝客は韓国で放映が始まった昨年9月ごろから訪れ始めた。30~60代の女性グループが目立つようになり、ドラマのヒットを願う絵馬を奉納する人も。「韓国名の高句麗の王について問い合わせが来るので驚きました」と60代目宮司の高麗(こま)文康さん(41)は話す。

 日本ではBSハイビジョンで昨年12月から、地上波ではNHKで今年4月から放映。その後はカメラを手に神社を訪れる韓流ファンの姿が絶えないという。テレビを見て来たという、さいたま市の主婦井手絹子さん(53)は「ドラマと関係ある場所にいると思うと、ゾクゾクします」。

 4月には、高句麗時代の遺跡が残る韓国・九里市から朴栄舜(パク・ヨンスン)市長はじめ市民ら約100人も来日し、高麗神社を訪れた。ブームにわく韓国と日本の交流を深めようとNPOが企画したイベントで、俳優チェ・スジョンさんも参加。日本の韓流ファンらも500人以上集まった。

 人気に注目したのが日高市の菓子店「栗こま娘本舗亀屋」。4種類の味が楽しめる「四神カステラ」を昨年12月から販売し、売り上げは上々という。地元のしょうゆ製造会社も「四神ドレッシング」を作った。

 高麗神社は、百済、新羅と三国時代を築いた高句麗(紀元前1~7世紀)から渡来した王族をまつり、旧高麗郡(日高市周辺)の象徴となっている。同神社は、郡が置かれて1300年にあたる2016年に向けて高麗人の文化や業績を紹介する記念事業を進めている。高麗宮司は「参拝者を大切にしながら、神社と日韓の歴史・文化を正しく伝えていきたい」と話す。(中野龍三)

ttp://www.asahi.com/national/update/0607/TKY200806070094.html
 

レンタル掲示板
/6